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「嫌われる勇気」は今さら語るまでもないですね。

読んで終わりではもったいないし、実践しないと意味がない。この機会に、自分なりの感想をまとめておくのもいいよ!
私はこれまでに「嫌われる勇気」を3回読みました。
とても良い本だと思います。ですから皆さんに読んで欲しいと思いますし、私自身、これからも読み続ける本だと思っています。
私は基本的に読んだ本は捨ててしまい、気に入った本だけを本棚に残すタイプですがこの本は間違いなく本棚に残す本ということになります。
今回は、備忘も兼ねてこの本の刺さったところを自分なりに抜き出していこうと思います。
はじめに
はじめにこの本の概要についてお伝えします。
登場人物は青年と哲人の二人だけです。そして、この二人の会話形式で話が進みます。
青年は現代の若者らしく、多くの悩みを抱えています。
一方の哲人は哲学者であり、同時にアドラー心理学の研究者でもあります。
哲人は自身の研究室とおぼしき書斎に青年を招き入れ、青年の悩みをひとつひとつ丁寧に聞きながらアドラー心理学の考え方を披露し、青年の悩みを緩和しようと努めます。
哲人の主張に対して青年は半信半疑の姿勢を崩さず、時に反例を出しながら哲人との衝突を繰り返していきます。
その衝突が繰り返される中でアドラー心理学の核心に迫っていくという展開になっています。
心理学とはいえ、平易な文章に加え、ひとつひとつの話は4〜6ページでまとまっていますので非常に読みやすい本といえるでしょう。
第一夜 トラウマを否定せよ
最初に青年の友人の話が登場します。
青年によるとその友人はいわゆる引きこもりで、過去のトラウマが原因で引きこもりになったと主張します。
それに対して哲人はこう断言します。
ご友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えるのです。
このようにしてアドラー心理学の目的論を説明します。
正直、これでいきなり脳天を叩き割られます。
「何、それ!?」という感情と同時に「確かにそういう捉え方も出来なくはないな」という思いが同時に起こってきます。
これによって心の中に何かざわつくものが現れ、読者はそれを抱えながら物語の続きを読み進めていくことになります。
経験に与える意味によって自らを決定
上記の哲人の発言に当然青年は盾突きます。先生(哲人)はトラウマの存在を否定するのか、と。
それに対して哲人は以下のように回答します。
アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。
そしてアドラーの語ったこんな一説を引用します。
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである
だから引きこもりに対する考えも冒頭のようなものになるわけですね。
あまりのシンプルさと考え方の新鮮さに「目からウロコ」といった感じです。
怒りという感情は捏造されたもの
どうしても目的論に納得出来ない青年は、自らがとったある行動を引き合いに出します。
それは前日に入った喫茶店での出来事です。
店員が青年の服にコーヒーをこぼしてしまい、それに対してカッとなった青年がその場で店員を怒鳴り散らしました。
青年いわく、この行動は原因ありきの行動であり、目的が入り込む余地などないというわけです。
確かに読者の一人としては青年の主張にも一定の理解を示したくなります。
しかし、哲人はこんな話をし始めます。
『仮に、昨日のあなたが偶然刃物を持っていたとして、カッとなったはずみに相手を刺してしまったとします。その場合も「自分にはどうすることもできなかった、これは不可抗力なのだ」と弁明できますか』
つまり青年の主張を突き進めると、怒りに駆られた犯行はすべてが「怒り」のせいであって、当人の責任ではなくなってしまうというわけです。
では青年のとった行動をどう説明すればいいのか、哲人はこのように解説します。
怒りに駆られて大声を出したのではなく、ひとえに大声を出すために怒った、のだと。
つまり、大声を出すという目的が先にあり、大声を出すことでミスをした店員を屈服させ、自分の言うことをきかせたかった、というわけです。
その証拠に、仮に大声を出さなくても店員は丁重にお詫びをし、綺麗な布巾でコーヒーを拭き取り、クリーニング代も手配するなどしかるべき措置をとったはずだと哲人は言います。
となると大声を出すなどといった行為は完全に余計なことであり、確かに店員を屈服するためだけのものということが出来ます。
さらに哲人はこんな例え話を出してきます。
ある日、母親と娘が喧嘩をしているところに、一本の電話がかかってきます。声の主は娘の学校の担任教師でした。
すると母親の声色はおとなしいものになり、電話を切るやいなや母親と娘の喧嘩が再開するという話です。
我々がよく目にする生活のワンシーンだと言っていいでしょう。
この話のポイントは、怒りというのは出し入れ可能な「道具」であり、怒りという感情は捏造されたものなのだと哲人は語ります。
たしかに!!!
ここまで来ると、もはや青年の負けが(あわせて私の負けも)確定した気がします。
人は感情にも過去にも支配されない
しかし、そうやすやすと負けを認める青年ではありません。
青年は哲人に対して「人間の感情を否定している」「感情を否定することは人間性をも否定することである」「感情はただの道具にすぎないとは先生はどこまでニヒリストなのだ」と食ってかかります。
これに対して哲人はこう諭します。
私は感情の存在を否定しているのではない。ただし、人は感情に抗えない存在であるというのであればそれは明確に否定する、と。
そしてこう結論づけます。
われわれは感情に支配されて動くのではありません。
そして、この「人は感情に支配されない」という意味において、さらには「過去にも支配されない」という意味において、アドラー心理学はニヒリズムの対極にある思想であり、哲学なのです。
つまり過去にも支配されないからトラウマなどあり得ないのだということです。
ここまで来るとこの本を読んでいて何か呪縛のようなものから解き放たれる感覚を覚えますし、自分が許されている、認められているという感情が湧き起こってきます。
ものすごい自己受容感です。
(通常であれば自己肯定感というべきでしょうが、この本の後半に自己肯定ではなく、自己受容という話が出てきます)
そしてここから第一章の佳境に向かっていきます。
人は自分にないものを持っている誰かにいつも憧れる
「○○さんのようになりたい」
このように人は誰しも自分にないものを持っている誰かに憧れるものです。
この青年もその一人でした。
変われない自分に嫌気やあきらめなど複雑な感情を抱えています。
これに対して哲人は
「人は誰でも変われます」
と断言します。さらには
「あなたの不幸は、あなた自身が”選んだ”もの」
であり、
「”不幸であること”がご自身にとっての”善”だと判断した」
「人は常に”変わらない”という決心をしている」
と畳み掛けます。
これを読んだ時、自分の心の奥底にある何かを揺さぶられるものを感じました。
つまり分かりやすくいうのであれば言い当てられた、どストライクの言葉だということです。
足りないのは「幸せになる勇気」
これで問題は明らかになりました。
あとはこの問題の解決策を考えれば良いわけです。
ちなみにアドラー心理学では性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明します。
そして、いまの忌み嫌うライフスタイルを自ら選んだということになるわけですが、哲人はこう言葉をつなぎます。
「もしもライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選びなおすことも可能なはず」
それに対してさらにはこう付け加えます。
「ライフスタイルを変えようとするとき、われわれは大きな”勇気”を試されます。変わることで生まれる”不安”と、変わらないことでつきまとう”不満”。きっとあなたは後者を選択されたのでしょう」
「あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない」
「あなたには、ただ、”勇気”が足りない。言うなれば”幸せになる勇気”が足りていないのです。」
最初にやるべきは「いまのライフスタイルをやめる」という決心
こうしていま我々が必要としているものは勇気であるということが判明しました。
と同時にまず初めにやるべきことは「いまのライフスタイルをやめる」という決心だということも学びました。
その上で哲人はこう言います。
自分の人生を決めるのは「いま、ここ」に生きる自分だ、と。
そしてそうすることで
「いま、ここ」から自分は生まれ変われるのだ、と。
第二章に続きます。
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